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2020年03月25日

「不安があっても良し、不安なまま、やる」にシフトした会話

自分自身の生き方、変化、成長仕事、ビジネス、経営、組織づくり介護、福祉CTNブログ

皆さん、こんにちは。沖縄在住の知念隆生です。

私は障害がある方々が生活の場として入所する施設で管理者をしています。

スタッフ全員が反対していた事を、会話をする事で、スタッフ自ら「よし、やってみよう」となったエピソードを紹介します。

 

スタッフ全員が何に反対していたか?と言うと、利用者の「看取り」です。

看取りとは近い将来、死が避けられないとされた人に対し、身体的苦痛や精神的苦痛を緩和・軽減するとともに人生の最期まで尊厳ある生活を支援することです。

老人ホーム等では看取りは一般的になっていますが、障害者施設で看取りは全国的に実践例が少なく、なんと無く高い壁のような存在でした。

そういう状況の中で、入所されている方が体調を崩し、検査を行うと末期のガンと宣告されました。この方は発語がなく、「ウー」とか「アー」とかの声と、ジェスチャーがコミュニケーション手段で、なかなか本人の体調の変化に気づく事ができませんでした。

 

病院での検査も、本人の抵抗が強く、CTとかMRIなどの検査が出来ず、かろうじて出来たレントゲンと腹部エコーでやっとガンという診断がされた経緯があります。

 

もちろん、本人はガンという理解は出来ません。

 

家族は、末期という事もあり、本人に負担をかける治療は選択せず、施設で過ごしてほしいと言う希望がありました。

 

実は私たちの施設で過去に看取りを行なった経験はなかったので、管理者としてどう対応しようか悩みました。

 

私としては、ご家族と同様に、長年住み慣れた施設で最期を過ごしてほしいという気持ちがありました。ただ、前例が無く、スタッフに大きな負担がかかる事も想定していました。

 

管理者の命令で看取りをする事も出来たのですが、命令ではどうしてもやらされ感が強く出ます。

 

そこで、私は「スタッフで会議を重ね、結論を出して頂いた上で、最終的に判断する」と現場に伝えました。

 

数日後、スタッフ会議に呼び出され、数回行われた会議の結果を報告されました。

会議の結論は「看取りはしない」と言う事でした。

 

スタッフから、これまで重ねた会議の内容の説明を受けながら感じた事は、「看取りをしない」前提で会議が進められ、看取れない理由を作る会議が行われていたのでは…という事でした。

 

「看取りをしない」という視点だけの会議が行われた事、本人が病院でどのような治療を受けるのかを想像していない事に残念な気持ちが湧きました。

 

私はまず、その気持ちを伝えた上で、本人が病院で過ごす事を想像して頂くために、「本人が入院したらアルアル」をスタッフに投げかけました。

 

すると、たくさん出てきました。

点滴は抜くよね〜、薬って吐き出すんじゃない?深夜に徘徊するよね〜、奇声あげるかも…etc。

次に、予想される行動をする利用者を治療するために、病院はどんな対応をするかな?と一人一人に尋ねると、大体のスタッフが、治療の目的でベットに拘束する対応をするかもと答えました。

 

その次に「もし施設で看取りをする事になったらどんな支援をするか?」みんなでアイディアを出し合う事、そして、1週目は面白おかしく、それ違うだろ!と笑いが取れるぐらい突拍子なモノでもありで、何でもオッケーというルールで、出し合いました。

 

まず、私が「すぐ駆けつけられるように、友達に頼んで、どこでもドアを作ってもらう」と言うと

 

一瞬、スタッフ全員が「何言ってんだ?」と私を見ましたが、それに続いたスタッフが、「すぐドクターを連れて来られるように、今から瞬間移動の修行をする」と発言したことで、何でも言っていいんだという雰囲気ができ、その後、スタッフから、どんどんいろんなアイディアが出てきました。

 

場が動いたのは、後半。新人スタッフから不安を持ち出すように、「私は看取る自信がないので、夜勤の時は支援したくない」と発言し、次のスタッフが「私も自信がないから、夜勤の時は祈り続ける」、それに続いて「私が夜勤の時は死なないで!と願います」と続きました。

 

その話を受けて、看護師が話始めました。

 

「みんな、会議の中で、看護師が24時間体制じゃないから心配とか、スタッフにドクターがいないとか言うけど、本人の余命はもう決まっていて、長くなる事はないし、もしかするともっと早く死んじゃうかも。その時、私たち看護師がいてもバイタルをチェックする事しか出来ないし、ドクターがいたとしても、点滴を打つぐらいかな。余命を伸ばせる事は出来ないんだよね〜。だから、『祈る』とか、『願う』とか、とっても良いと思う。私もそれしか出来ないしね〜。」

 

するとスタッフから「病院だったら可哀想だよ」「住み慣れたところで過ごしたいよね〜」「本人が好きなモノって何だろ?」など「看取りをする」前提での会話が起こり始めました。

それからは、話が早く、「施設で看取りをするとしたら何をする?」のお題に沿って具体的な話が進み、家族がいつでも面会できるように個室へ移動する提案、訪問医療や訪問看護の連携を誰がいつまでに行うのか、万が一の場合、どのような体制を組んで、どこに連絡をするか?連絡網の整備など、本人にとって、家族にとって「この施設で良かった」と言う場所作りをしよう!!というところにスタッフ全員が立ち同じ方向に向かって、前のめりになる会話が出来ました。

 

不安があっても「良い」、不安なまま、スタッフとして出来ることをやる。

この会話の中で、スタッフ自らやる方向に進んだ事は、とても嬉しかったです。

 

約1ヶ月後、看取り支援は終わりましたが、看取り支援をする中で、一人一人が本人と向き合い、看取り支援を通して支援者としての「やり甲斐」を感じた経験になりました。

 

「不安をやらない理由にする」

CTNを学ぶ前はそれで「良し」としていたかもしれませんし、スタッフの負担を考え、踏み込んだ会話を避けたかもしれません。

しかし、影響を探ったり、出来る事を探ったりする会話が、

「不安があっても良し。不安なまま、やる」

という、思考の変化を促し、行動の変化を促しました。

会話によって、得られる成果が大きく変わる事を実感し、意図的に会話することのパワフルさを感じた経験でした。

 

お読み頂き、ありがとうございます。

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