自分のパラダイムに気づいたら、仲間も集まり、人生が楽しく軽やかに!
自分自身の生き方、変化、成長仕事、ビジネス、経営、組織づくり人間関係CTNブログこんにちは。古賀雅都と申します。
私は精神科病院で作業療法士部門の管理者をしています。
職場とは別に、今年の5月から県内作業療法士団体の精神科作業療法部門の理事を担当し、仲間たちと共に精神科分野で働く作業療法士の学びの場をつくり始めました。
以前の私は、無意識といってもいいくらい当たり前に、
・いい子でいなければならない
・ちゃんとしていなければならない
・ダメな奴だと思われないように
生きていました。
これが、
・人に頼れない
・無理をし過ぎて疲れる
・正解か間違いか、白黒つける
・正論を振りかざしてしまう
を呼び、
ふりかえると、
・仲間がほしくても集まらない
・一緒にやる人を集めたとしても、私がいなくなるとプロジェクトが無くなる
・一人で頑張りすぎて自分が身体を壊す
となっている。
そんなふうに自分自身をとらえていました。
なんとか自分を変えようと手段を講じてやってみるものの結果はあまり変わらず…
「なんで私はいつもこんなふうになるんだろう」「私がダメだから」と自己否定、自己嫌悪に陥り、やれどもやれども達成感を得られず、ときには虚無感に襲われることもありました。
数年前に、作業療法士団体の研修会でパラダイムシフトコミュニケーション®に出会いました。
これまで何とか自分を変えようと様々な知識やスキルを学んでいましたが、この研修は全く質が違いました。あまりの違いに衝撃を受け、直観的にやってみようと連続講座を学び始めました。
その学びの過程で、私は、人の評価を気にして「いい子でいなければならない」というパラダイム(価値観の枠組み。詳しくは講座で扱います)があることに気づきました。
パラダイムに気づいたものの、“自分がやればいい、そして勝手に評価して自分がダメだ“と自己否定した方が“いつも通りだからそれでいいんじゃないか“、“その方が変わらないからいいんじゃないか“というパラダイムのささやきが何度も湧いたりもしました。
ところが、いつしか、私は「いつも気にしている、人からの評価・その評価に対応して生きる自分」ではなく、「ただ私がわたしとして生きていく。楽しく軽やかに生きていく」というのでもいいのかも、と思うようになっていきました。これは、そんな瞬間がいつだったかは思い出せないくらいですが、ふと浮かんだものでした。
それからは、「自分のパラダイム」なるものに気づくことが増えていきました。そうすると、パラダイムの中にいる自分をその瞬間にキャッチできるようになり、パラダイムにとらわれない「わたし自身」も現れ、その自分で行動するようになりました。
正しい/間違い、他者からの評価が得られる/得られない、ではなく、私は【作業療法士として生き生き、楽しく働く作業療法士を増やし、対象者に貢献する】という意図に沿って仕事を行うようになりました。
そして、今年になって前述の県内作業療法士団体の理事のお話があり、自分の意図から理事を引き受けました。
私の意図を県内の作業療法士の皆さまに伝えていくと、わずか2か月程で研修会主催メンバーとして、若手からベテランまで10名の仲間が集まりました。
研修会主催メンバーが集まってわずか2か月後には、第1回研修会を開催でき、40名近くの方の参加がありました。精神科分野で働いて感じているやり甲斐、困っていること、学びたいことなどを参加者が持ち出す場となりました。主催メンバーからは「やってよかった」と生き生きとした表情で感想がありました。
そして、私も、以前の自分のように一人でガムシャラにやる、他者からの評価を得るためにやるのではなく、
•意図に沿って
•色んな人を巻き込みながら
•仲間と色んな可能を広げて
•楽しみながらやってみる
ことができ、
私にとって学びの多い、そして心からやってよかったと感じる素晴らしい体験となりました。
多くの仲間が存在していることへの感謝が湧き溢れ、とても幸せな気持ちになりました。
今回の研修は、私たち主催メンバーにとっては第一歩です。
ここで満足せず、更に前進してもいいと自分にOKを出し、【作業療法士として生き生き、楽しく働く作業療法士を増やし、対象者に貢献する】意図から、楽しみながら仲間たちと共に次なる研修会の企画を始めています。
「いい子でなければならない」というパラダイムはたまに出てきますが、そこに気づき、横において、自分の意図からやりたいこと、やることを楽しく、軽やかにやっています。