ネガティブな感情に振り回されない自分になる
参加者の声CTNブログ家族、親子、子ども・親との関係など自分自身の生き方、変化、成長日常生活での気づき、趣味パラダイムシフトコミュニケーション®︎トレーナー、主催の牧野です。
一昨日の母からの電話
母「最近来ないけど、仕事忙しいの?
野菜がたくさんできてきたから、取りに来ないかなと思って。」
私「そうなんだ。ありがとう。
今日はちょっと行けそうにないから、今週中には行くね。」
講座で学んでからの私は、
そんな、母とのなんてことない電話での会話が、
苦痛に感じることなく、普通にできるようになりました。
以前の私はどうだったかというと、
電話の画面表示で母からの電話だと気づいた瞬間、
「何してたの?」
「どこに行ってたの?」
「最近全然来ないけど、忙しいの?」などと
不機嫌に責めるように言われることを想像して、
電話に出る前から、気を滅入らせていました。
そして、母に、
「何してたの?」
「どこに行っていたの?」と
言わせないために、頻繁に実家に顔を出していました。
また、電話口で、
最近、人と会う機会が少なくなったことを、
さみしそうに話す母の言葉を聴くと、
私がさみしい思いをさせているような気持ちになり、
仕事のスケジュールをぬって、急いで実家に駆けつけるのですが、
行ってみると、母は友だちと楽しそうに談笑していたり…。
ホッとすると同時に「一体、私は何なんだ」と、酷くがっかりして、
「なんで、こんなに母に振り回されるんだろう…」と、
思っていました。
少し親との距離を取ろうと、
実家に行く機会を減らしたり、電話を減らしてみたりしても、
母とのコミュニケーションで感じる苦しさやしんどさは増し、
私の生活のなかに占める母の存在は大きくなるばかりでした。
そんな時に、コミュニケーショントレーニングネットワーク®️の連続講座の中で、
自分の中にある母への思いをしっかりと観る機会がありました。
その中で、私は、母に憧れていたこと、
その憧れの母を喜ばせたい、がっかりさせたくない一心で
行動していたことに気がつきました。
私の母は、同級生のお母さん達の中では年齢も若く、
そのせいもあってか、今でも同窓会に行くと
「お前の母さん美人だったよなぁ」と言われるような、
みんなに憧れられる母でした。
また、子どもの私から見た母は、
料理も掃除も裁縫も完璧で、いつも私の自慢でした。
数年前に祖母が亡くなる前まで、
認知症の祖母を、在宅で7年間ずっと介護していた母は、
毎日、数種類の手作りの介護食の準備から体位変換など、
介護も完璧でした。
祖母の介護をしつつの母からの電話は、
いつの頃からか、第一声が、
「何してたの?」
「どこに行っていたの?」
で始まるようになりました。
訪問介護などを利用しつつも、
一人っ子の母の負担は相当だったと思います。
それを理解しつつも、
日々の悩みごとや不満などをしっかり聞いてあげることもなく、
自分の生活を優先し過ぎていったと感じる日々に、
どこか罪悪感もあり、
「何してたの?」
「どこに行っていたの?」
という母の言葉に、責められているように感じました。
祖母が亡くなってからも、
電話の画面に母の名前が表示される度に、
「何してたの?」
「どこに行っていたの?」
という言葉が頭の中に浮かび、
素っ気ない態度で電話に出てしまい、
母に優しくできないことで、自己嫌悪感にも駆られていました。
本当は、もっと優しく会話したい。
母と、お互いを尊重し、
素直な気持ちを言葉にして話ができる関係を築きたいのに、
素直に思いを言葉に出せなかったり、
飲み込んでガマンしたりしている感情が積もり積もって
自分を苦しくさせていたことにも気付きました。
そして何より、この先は母との時間をもっと大切にして、
温かい時間を共に過ごしたいと心から思いました。
そのことに気付いて、母に、
「本当はもっと優しく、
気持ち良く話をしたいと思っているのだけど、
電話がかかってきて、いきなり、
どこに行ってたの?何してたの?っていう言葉を聴くと、
責められているような感じがして、悲しい気持ちになるんだよね。」
と伝えることができました。
母は、私の言葉を受け取ってくれて、
それ以降は、「元気?」とか「変わりない?」と電話してきてくれます。
そして、時々は
「何してたの?」
「どこに行ってたの?」
と言われることもありますが、
母の言葉がどうであっても、
それに振り回されない自分でいられるようになりました。
講座での探究で、自分の中にあった
母への様々な感情を、味わい、通り抜けたことで、
この先、母とどんな時間が過ごしたいのか、
意図が明確になり、
今では、あれほど、
苦しくしんどかったことが、嘘のように、
軽やかに母とのコミュニケーションを楽しんでいます。