イヤイヤと泣いて保育園に行かない娘の話を聴いてみると
家族、親子、子ども・親との関係などパラダイムシフトコミュニケーション®︎トレーナーの種村文孝です。
子育てをしていると、
小さい子どものイヤイヤに困ることってありませんか?
イヤイヤってしている子どもとやりとりをしていて、
印象的なことがありました。
ある朝、
妻が先に仕事に行き、
僕が3歳の娘と1歳の息子を保育園に送っていくことになりました。
妻が準備を終えて、
「じゃあね、先に行くね」
と、家を出ていくと、
娘が泣き出しました。
「あーーーー、ママがよかったー。
ママと保育園に行きたかったーーーー。
ママーー、ママーー、ママーーーーー」
「そっかぁ、ママがよかったね。
ママと保育園に行きたかったね。
でもさ、ママお仕事だから、今日はパパと一緒に行こうね。
パパと行こうって言ってたでしょ」
「イヤだ!!
パパとじゃイヤだ!!
ママがよかったーーーー。
ママーーーー」
僕も仕事に行かないといけないので、
駄々をこねられると困りますし、
イヤだと言われると、イラッとします。
「もう、だったら早く準備すればよかったじゃん!
早く準備したらママと一緒に出かけられたのに、
ゆっくりテレビ観て、準備しなかったから、
間に合わなかったんじゃん!
もう、パパがイヤだって言うなら、一緒に行かないよ!
連れて行かないよ!」
「イヤだーーーー。
ママがよかったーーーー。
ママーーーー、ママーーーー」
何を言っても、
イヤだ、ママがよかった、
の繰り返しです。
そして、ママはもう仕事に出かけてしまったので、
家にはいません。
1歳の息子を抱っこして、
仕事用のバッグを背負って、
僕としては早く出かけたいのですが、
玄関から娘はまったく動いてくれません。
あー、自分がイライラしているな、
これは娘にとっても僕にとっても望ましい結果にならないな、
と気づいたら、ふっと楽になったところがありました。
そして、
ちゃんと娘の話を聴くことにしました。
「ママがよかったーーー。
ママーーーー、ママーーーー」
「ママがよかったんだね。
ママと行きたかったんだね。
ママーーー、ママーーーなんだね」
「(ひっく、ひっく)うん。
うぇーーーん」
「ママがよかったね」
「(ひっく、ひっく)うん。
ママがよかった。
ママがいーよーーーー。
さみしーよーーー」
「ママとがよかったね。
さみしいんだね」
「うん。
さみしーよーーー」
娘はそう言いながらも、
今度は、泣きながら立ち上がって、
家を出ました。
泣きながらでも、
保育園まで歩いて約20分の道のりを歩きました。
「ママと行きたかったー。ママがよかったよー。
ママがいーいー。さみしーよー」
外に出てからも大きな声で泣き続けていて、
足取りはちょっと重たいものの、保育園に向かって歩きます。
「そうだよね。ママがいいよね。
ママと行きたいよね。
ママと一緒がいいよね。
さみしいよなぁ」
「ママがいいーー」
「うん、ママがいいよなー」
「ママと行きたかった」
「ママと行きたかったな」
「さみしーよーー」
「さみしーなぁ」
と娘の話を全部聴きながら、会話しながらの登園でした。
そして、娘も泣きながらも歩きます。
10分くらい歩いて、保育園が近づいてきたら少し落ち着いて、
娘が、道に咲いている花を見つけました。
「パパ、お花、とっていい?」
「うん、いいよ。待ってるよ」
「やったぁ。あっちにもある」
と言って、花を2本とってきました。
「かわいい?」
「うん、かわいいね」
と今度はご機嫌で歩きました。
家の外でも泣いている娘に対して、
いつまでも泣かないの!
みっともないよ!
うるさい!
早くしなさい!
置いていくよ!
など、声をかけてしまうこともありますが、
この日は娘の話とそのままの感情をただ受け取ってあげていたら、
歩き続けて、保育園にも仕事にも間に合い、登園の途中で花を見つける余裕までできました。
また、娘が泣いているのは、
この年齢によくある、単なるイヤイヤやわがままだろうと思っていましたが、
娘の話や気持ちをそのまま受け取っていたら、
泣きたくなるほどの寂しさ悲しさなんだ、
と伝わってきました。
もし自分がイライラしていたままだったら、
お花を見つけたときの娘の喜んだ顔を見たり、
娘の嬉しさを受け取る会話の時間もつくることはできなかったでしょう。
それどころか、娘はいつもイヤイヤばかり言うわがままな子だ、
とレッテルを張っていたかもしれません。
今回の出来事から、
子どもの行動を見て、イヤイヤだ、わがままだ、
と決め付けて、頭ごなしに言うことをきかせようとするのではなく、
まずは子どものあるがままの気持ちをただ聴き、しっかり受け取ってあげることが大切だなぁ〜って感じました。
そして、そうすることで、
その先には、私たちが創りたかった、
子どもの成長を感じたり、子どもの発見や感動を受け取ったりする、
豊かな時間ができるのかもしれません。