突然の闘病生活を支えてくれたもの~息子の命を救ってくれたパラダイムシフトコミュニケーション®~
参加者の声CTNブログ自分自身の生き方、変化、成長パラダイムシフトコミュニケーション®連続講座でスタッフをしている多田明世です。
4年前の冬、当時小学6年生だった三男が、自分で血液が作れなくなる難病「再生不良性貧血」になりました。
フルタイム勤務の私は、介護休暇を取り、彼の闘病生活を支えました。
長期入院し、定期的な輸血と薬物治療を行いましたが効果は出ず、先の見えない不安にどんどん気持ちが沈んでいきました。
そんな時、ばったりと昔の同僚と会いました。そして、「パラダイムシフトコミュニケーション®の『体験講座』」のチラシをくれました。沈んでる自分が嫌で、変えたくて、『体験講座』に参加しました。
『体験講座』で、講座をしていた岸さんの「嫌な自分を変えるのではなく、新しい自分を増やす」という言葉に、ハッとしました。
「そっかー、変えなくてもいいんやぁ~。増やす感じなんや~」と、心が軽くなりました。
また、「自分のあり方が大切」との話に、息子の病気を通じて、命が有限であること、終わりがあることを強く感じていた私は、それは「息子のことであっても、同時にわたしのあり方のことだ」と気づき、だったら自分はどうするか。救いを求めるように、もっともっと学びたいとの思いが湧いてきて、『連続講座』を受講しました。
『連続講座』を受講する中で、私は『息子の命をつなぐ人になる』と宣言しました。
すると、自分の覚悟が試されるかのように、医師から「若い息子さんの命を救うためには、骨髄移植しかありません。」と宣告されました。
が、骨髄バンクに登録されている骨髄提供者(ドナー)の骨髄で、息子にピッタリあう提供者はいませんでした。
その時、息子自身がSNSで自分の想いを発信していました。
「僕には、夢もあり、目標もあり、好きな人もいます。骨髄バンクへの登録をお願いします」と。
彼の想いを知り、言葉では言い表せない気持ちで、胸がいっぱいになりました。
私に何ができるか。。。。私の宣言への覚悟が試されていると感じました。
あらためて『息子の命をつなぐために、やる事をやる』と決めました。
そして、周りの人に協力のお願いをしたり、メディアにも息子と一緒に出演しました。
あらゆる可能を模索し、行動しました。
初めての取組みに、様々な人に依頼をする時、
「相手にどう思われるか。やっても無駄では?」などと、自分のやっている事に、別の私がささやく声が聞こえました。が、その声は『連続講座』に参加したり、ともに学んでいる仲間たちに自分の思っていることをありのままに伝えることで、消えていきました。そうしていると、その時、自分がやる事、やれる事が見えてきました。
そして、その行動の結果、ドナー登録者は増えましたが、息子に適合するドナーは現れませんでした。
骨髄移植のドナーになるためには、患者とドナーの白血球の型が全て一致するのがベストです。全て適合する確率は他人の場合、数百~数万分の1。親の白血球が子どもと全て合う事はほぼなく、半分適合するのが標準です。合わない部分が拒絶反応を起こし、死に至ることもあると説明を受けました。私の場合、運よく3/4が息子と合いました。それでも、できるだけリスクをさけるため、全て合うドナーを探していました。けれど、結果として私がドナーとなり、3年前の夏、骨髄移植をしました。手術は成功しました。しかし、移植後には多くの制限があり、その辛さからなのかイライラしている息子と私は口論になる事も増えていきました。
その度に、私がどうしたか。
『連続講座』で学んだ、たくさんのセンス(『連続講座』では、多くの基本的なセンスを学んでいきます)を思い起こし、「今こそ、フル活用する!」で向き合いました。
たくさんのセンスを、支えというか拠り所にして、私は「息子とともにいる」に全力で取り組み、彼の思いをそのままうけとっていきました。
すると、徐々に会話ができるようになり、息子のチクチクした言葉がなくなりました。
それだけではなく、退院日の帰りの車では、照れくさそうに「いろいろあったけど、ありがとう」と言ってくれました。思いがけない一言に、びっくり、そして嬉し涙があふれました。
その後、息子は順調に回復し、ほどなく血液の数値も正常値になっていきました。
そして、3年たった今。
高校2年生になりました。薬も飲まず、病気前にやっていたサッカーも再開し、サッカー部キャプテンとして日々奮闘しています。
さらに将来は、自分の命を救ってくれた先生のような医者になると勉強にも頑張っています。
息子の命がつながったのは、パラダイムシフトコミュニケーション®のセンスを、見守る私が学んでいたからこその結果なのではないか、と思っています。
彼の命がつながった今、その事への多大なる感謝と、自分の命の時間を大切に、自分のやりたい事、甲斐のある事をしたいと思い、『自分の命の使い甲斐のある事をする』を宣言しました。
そして、その宣言を今もしっかり胸に刻んで、毎日を大切に楽しく過ごしています。